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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)1519号 判決

原告 石田信子

〈ほか三名〉

右四名訴訟代理人弁護士 藤田信祐

被告 村野万治

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 川口雄市

主文

被告らは各自、原告信子に対し三三八万〇、四九六円、原告春に対し二万六、四一一円、原告範寿、同克江に対しそれぞれ一万七、六〇七円及び原告信子に対しうち三一六万〇、四九六円、その余の原告らにつき右各金員に対する昭和四四年三月八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は二分し、その一を原告らの、その余を被告らの各連帯負担とする。

この判決第一・第三項は仮執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告ら「被告らは各自、原告信子に対し八五〇万四、七三八円及びうち七七三万九一八三円に対する昭和四四年三月八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員、原告春に対し七九万〇、一三九円及びうち七一万六、八〇六円に対する同日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員、原告範寿、同克江に対しそれぞれ一五万三、四二六円及びうち一三万七、八七一円に対する同日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を各支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決及び仮執行宣言

二  被告ら「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決

第二原告らの主張

一(一)  原告信子は、昭和四一年七月一〇日午後八時四〇分頃練馬区田柄町二丁目六三四七番地(当時の地名、以下同じ)と板橋区下赤塚町六七三番地との間の川越街道の信号機のない横断歩道上を板橋区側から横断歩行中、被告弥市が運転し池袋方面から埼玉県方面に進行する普通貨物自動車(四や二〇一二、以下甲車という)に衝突されて後記のとおり受傷した。

(二)  被告弥市は甲車を運転し、少くとも時速四五キロメートルで進行中、前方不注視の過失により、向って右側から横断歩行中の原告信子に全く気が付かず、制動も講じないまま、自車前部を同女の腰部に激突させて、ボンネットの高さ以上まで同女をはねあげた。

(三)  右事故により、原告信子は左骨盤、左大腿骨各骨折の傷害を受け、昭和四一年七月一〇日北町病院に入院し、翌一一日から昭和四二年一〇月九日まで順天堂病院に入院し加療したが、なお後記後遺症があり、父母のもとで静養している。

(四)  原告信子の後遺症は、①骨盤変形癒骨及び左股関節運動過伸展(一九〇度)による同関節機能障害(自賠法施行令別表―現行―第一二級七号該当)、②左下肢一センチメートル短縮(同第一三級八号該当)、③左大腿から膝にかけての前面に長さ二〇センチメートル及び三センチメートルの縫合痕並びに鋼線抜出痕(二穴)(同第一二級一四号該当)、④、①②及び左膝動揺関節、左肩関節拘縮による左股関節痛、左肩内旋運動痛のため、歩行はごく短時間に限られ、階段昇降や平坦地以外の歩行は極めて困難であり、正座することも重量物の取扱もできず、疲労しやすく長時間の作業に耐えられないものであって、その従事できる労務は軽易なものに限定されるもの(同第九級一四号相当)である。

二  ≪省略≫

三  原告信子の本件受傷により、同原告及びその父石田敏治は次の損害を蒙った。

(一)  原告信子が入院中に支出した諸雑費 六万一、四六二円

(二)  亡敏治が原告信子の入院中に支出した交通費等の諸雑費 九万一、九七八円

(三)  亡敏治が支出した病院費用 二万八、四四〇円

(四)  原告信子の休業損害 一七万八、九八六円

≪省略≫

(五)  原告信子の逸失利益

1 昭和四二年五月から昭和四四年一月までの分 七二万七、五〇九円

同原告は右期間入院加療あるいは後遺障害のため全く稼働できなかった。その間に本件事故がなく通常の勤務をしていれば得たはずの給料(昭和四二年・四三年の夏冬各賞与とも)は総計右のとおりである。

2 昭和四四年二月以降分 四〇五万三、三五五円

同原告は昭和四四年二月当時二三才一〇か月のもともと健康な女子で、爾後四〇年間は就労可能である。同書店に引続き勤務するものとすれば、昇給を考慮しないでも年収三九万六、〇四八円を得たはずである。

ところで、前記後遺障害のため、同原告は極めて軽易な労務に従事し得るだけであって、その労働能力喪失割合は少くとも三五パーセントである。

そうすると、原告信子は本件事故により、前記年収額の三五パーセントにあたる年額一九万〇、二一八円を四〇年にわたり失うことになり、これをホフマン式計算方式で算出すれば、右金額となる。

(六)  慰謝料

1 原告信子 二五〇万円

同原告は本件事故により生命の危険にさらされ、さらに事故時から四五七日にわたり入院治療を余儀なくされ、なお引続き静養を要する状態であるので、これに対する慰謝料は一五〇万円が相当である。さらに同原告は、当時二一才の健康な未婚女子で、人生の最も楽しかるべき青春時代を本件事故により奪われ、前記後遺障害を受け不具となり、婚期を逸するだけでなく、結婚の可能性も大半失われたもので、右後遺障害に対する慰謝料は一〇〇万円が相当である。

2 亡敏治、原告春 各五〇万円

右両名は原告信子の父母で農業を営むものであるが、同原告をいつくしみ育てて立派な社会人とし、その結婚、孫の誕生という幸福な生活を期待していたところ、被告弥市の一方的過失により惹起された本件事故のため、不具となり、おそらく結婚もできない同原告をその手許において終生保護扶養しなければならないので、これに対する慰謝料は各五〇万円が相当である。

(七)  弁護士費用≪省略≫

四  ≪省略≫

五  亡敏治は昭和四四年六月二八日死亡し、原告春はその妻として三分の一、その余の原告らはその子として各九分の二の割合により亡敏治の権利を相続した。

六  被告万治が被告ら主張五のとおり合計一一一万〇、七六九円の支払をした事実は認める。

≪以下事実省略≫

理由

一  原告ら主張の日時、同主張の横断歩道上あるいはその西方約一二メートルの地点において被告弥市運転の甲車が池袋方面から埼玉県方面に進行中、板橋区側(向って右側)から横断歩行中の原告信子に衝突(あるいは接触)し、同原告が受傷したことは当事者間に争がない。

二  原告らは、原告信子は右横断歩道を歩行中に衝突したものと主張し、同原告はこれに副う供述をしている。

これに反し、被告らは、接触地点は、右横断歩道の西方約一二メートルの地点(井出運送店前)であって、甲車は第二通行帯を進行し、右横断歩道東方約一〇〇メートルの場所にある交差点で赤信号のため停車し、青信号となって三台の先行車に続いて発進し時速約二〇~三〇キロメートルで進行し、右横断歩道約二〇メートル手前で減速し、同横断歩道に歩行者のないことを確かめ、時速約一〇~二〇キロメートルで同横断歩道を通過し、その直後第三通行帯を並進していた車が甲車を追い抜いたとたん、その車のかげから突然原告信子が甲車の前にとび出し、被告弥市はこれを発見し同時に急制動をかけたが、既に約三メートルの距離しかなかったため接触したと主張し、被告弥市はこれに副う供述をし、また証人山田匡雄も接触地点につき同旨の供述をしている。

右のうち、原告信子の供述はこれを疑わせるに足る証拠がなく、被告弥市、証人山田の供述は信用するに足りない(他に被告らの右主張を裏付ける証拠はない。)。その理由の要点は次のとおりである。

≪証拠省略≫によれば、事故当時において、右横断歩道の附近では、川越街道はほぼ東西に通ずる道路で、最高時速五〇キロメートルと定められ、車道幅員約一六・六メートル、センターラインの標示があり、片側各三通行帯に区分され、その両側に歩道があること、右横断歩道の西端から西方約一五・三メートルに南側旭町方面に通ずる三差路、約一〇〇メートル東方に信号機のある交差点の存すること、そして、歩道にはいずれも車道に接する部分のうち、横断歩道や交差点の直近を除き概ね全面にガードレールが設けられており、前記横断歩道の西側についていえば、南側(井出運送店前)は同横断歩道西端近くから約一一メートル、北側はさらに長区間、いずれも切れ目のないガードレールが存することが認められる。

≪証拠省略≫によれば、事故発生後、甲車が停ったのは同車両先端で西行第二通行帯の前掲横断歩道西端から西方約一四メートルの地点で、原告信子が倒れていたのもその直近であると認められる。

右事実からすれば、甲車が第二通行帯を進行したことは明らかというべきである。

甲車の速度については、被告弥市自身事故直後、時速約四五キロメートルと述べ、山田匡雄も四〇キロメートル位としている。そのうえ、前記交差点発進後の甲車を含む西進車が特段速度を抑えて進行するような状況、例えば車両の渋滞等を窺わせる証拠はない。さらに、被告弥市の供述するとおり当時横断歩道に歩行者がないとすれば、甲車の先行車が減速した理由も見出し難いので、結局この点についての被告らの主張はにわかに肯定できない。

急制動については、現場にはスリップ痕は認められず、甲車の停止地点から約二二メートル離れていた目撃者山田匡雄は衝突音を聞いたがブレーキ音は聞いていないのであるから、この点についても被告ら主張は疑わしい。

山田匡雄の認識についていえば、同人は甲車と原告信子の接触自体ではなく、接触後甲車の停止寸前の状況を目撃したに過ぎないものであって、それ故に同原告は向って左側(南側)からとび出したとの確信を抱いているものである。

被告ら主張のように原告信子が第三通行帯を進行する車両の直後からとび出してきたとすれば、同車通過時同原告はセンターライン附近にいてセンターラインから約四・五メートルの地点で甲車前部に接触したこととなるところ、たとえ、同原告が第三通行帯進行車通過直後に駈け出したとしても、同女と甲車の速度関係からして、このような接触は起り得ない。

被告ら主張の場所で接触が起ったとすれば、原告信子はその主張の横断歩道よりかなり西方を歩行していたことになるところ、この場合にはスカート履き(同原告の供述)の同原告がガードレールを越えて車道に出たこととなるし、また同原告がこのような交通状況の幹線道路でどのように横断歩道を外れて歩行したのかその経路、その理由をにわかに想定できない。

以上のとおりであるから、被告弥市は甲車を運転し、横断歩道を横断していた歩行者である原告信子をその直近に至るまで発見しなかったものであって、本件事故につき前方不注視の過失の責を免れず、被害者である同原告には過失の証明がないことに帰する。

三  したがって、被告弥市は民法七〇九条により、被告万治は甲車の運行供用者(争のない事実)として自賠法三条本文により、いずれも、本件事故による原告信子の受傷によって生じた損害を賠償する責任がある。

四  原本の存在及び≪証拠省略≫によれば、原告信子は本件事故によりその主張のような傷害を受け、その治療のため、事故当日(昭和四一年七月一〇日)北町病院に入院し、翌一一日から同年一〇月二四日まで順天堂大学医学部附属順天堂医院に入院し、さらに同日同医院医師の指示により順天堂伊豆長岡病院に転じ昭和四二年一〇月九日まで入院していたが、その頃症状は概ね固定し、原告ら主張のような後遺障害(一(四)但し、障害等級の点を除く)が存しているものであることが認められる。

≪証拠省略≫によれば、原告信子は昭和二〇年三月三日生の女子で、高校卒業後株式会社紀伊国屋書店に店員(レジスター係)として勤務し、事故前概ね健康であったが、本件事故以後同社に出勤せず、そのまま就労不能の故をもって退職したこと、前記退院の後は、肩書住居地で農業等を営む母(原告春)等と生活をともにし、暫時静養に専念した後、家事の一部を担当している状態にあること、前記会社勤務当時(事故前)の給料月額、正常勤務の場合に受けるべき冬夏の賞与額及び事故後同社から支給を受けた給与額が原告ら主張三(四)のとおりであることが認められる。

五(一)  ≪証拠省略≫によれば、原告側(原告信子あるいは亡敏治等家族をいう。以下同じ。)において昭和四二年一〇月分の順天堂伊豆長岡病院の治療入院料として同院に八、一九〇円を支払ったことが認められる。右事実及び弁論の全趣旨により右金員は亡敏治が支出したと認められる。右の外原告側において治療費ないし病院費用(すでに被告らが原告側に支払ったことが明らかな分を除く。)を支出した証拠はない。

(二)  ≪証拠省略≫によれば、原告信子は昭和四二年五月二〇日から同月二五日まで、その病状に鑑み付添看護を必要とし、看護人の看護料及びその附随費用として七、八二〇円を支出したことが認められる。

≪証拠省略≫によれば、原告信子は昭和四一年一〇月二四日前掲転院に際し寝台自動車を利用し、その費用として二万四、四三〇円を支出したことが認められる。

≪証拠省略≫によれば、原告信子は昭和四二年一〇月九日退院帰京に際し電車等を利用し、その運賃料金として八五五円を支出したことが認められる。

≪証拠省略≫によれば、原告信子の入院中、原告側において前掲のほか同原告の栄養、衣料その他諸費用として一〇万円を下らない支出をしたが、入院日数に鑑み、うち九万一、四〇〇円を本件事故による療養に相当因果関係のあるものと解するのが相当である。

以上合計一二万四、五〇五円のうち原告信子が入院中に支出した諸雑費として主張する六万一、四六二円を除いた六万三、〇四三円については弁論の全趣旨により亡敏治が支出したものと認めることができる。

(三)  前記四の事実によれば、原告信子は本件事故後入院等により全く就労できなかったものであるが、右病状等に鑑み、全く就労できなかった期間は昭和四三年二月末までとみるのが相当であり、その期間同原告が前記会社に正常に勤務すれば得るはずの給料(賞与冬二回、夏一回を含む。)は昇給を考慮しない場合、合計六三万〇、四〇四円となるが、その間同社から支給を受けた前記金額を差引くと、その間の休業損害は五二万八、八七八円となる。

前記四の事実によれば、原告信子は右期間後も引続き後遺障害のため従前のような就労が不可能であるが、就労可能と考えられる全期間すなわち同原告が六三才に達するまで(昭和四三年三月以降四〇年間)を通じて考えると労働能力の喪失率は二〇パーセントを下らないものとみることができ、結局毎年年間収入三九万六、〇四八円の二〇パーセントにあたる七万九、二一〇円の損失を受けることになる。右金員総額から年五分の割合による中間利息をこの判決時までは単利、その後は複利計算で控除すれば現価合計は、一三七万二、五四九円となる。

(四)  前記四の事実によれば、原告信子の精神的損害を慰謝するには一三〇万円をもって相当とする。

(五)  原告らは、原告信子の本件受傷につきその父母である亡敏治、原告春に慰謝料請求権があるというのであるが、右受傷の部位、程度からみて、その父母に固有の慰謝料を認めるべき場合にあたらない。

(六)  弁論の全趣旨により、原告信子、同春、亡敏治が原告ら主張のとおり弁護士に本訴提起を依頼し、着手金を支払い、謝金の支払を約したことが認められる。本訴の経過、認容額、被告らが治療費等を支払ってきた事実等に鑑み、うち原告信子につき着手金八万円、謝金二二万円、亡敏治につき着手金八、〇〇〇円をもって本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

六(一)  ≪証拠省略≫によれば、同原告が自賠責保険金後遺症補償分二〇万円を受領したことが認められる。

(二)  右の外、同原告が被告ら主張八の金員の支払いを受けたことは原告らの認めるところであるが、前記五(一)、(二)掲記の証拠によれば、右金員は原告ら主張のものと別個のものでこれに充当されるべきものでないことが明らかである。

七  以上の次第で、原告信子は被告らに対し前記五(二)の六万一、四六二円、同(三)の合計一九〇万一、四二七円、同(四)の一三〇万円、同(六)の着手金八万円から前記六(一)の金員を控除した三一四万二、八八九円及びこれに対する本訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和四四年三月八日以降支払済みまで年五分の割合による遅延損害金並びに前記五(六)の弁護士謝金二二万円の支払を求める権利を有し、亡敏治は被告らに対し、前記五(一)の八、一九〇円、同(二)の六万三、〇四三円、同(六)の八、〇〇〇円の合計七万九、二三三円及びこれに対する前示同様の遅延損害金の支払を求める権利を有した。

八  ところで、亡敏治が死亡し、原告ら主張のとおり相続がされた(争のない事実)から、同人の前記権利は、原告春に二万六、四一一円及びこれに対する前記遅延損害金、その余の原告にそれぞれ一万七、六〇七円及びこれに対する前記遅延損害金が承継されたものである。

九  よって、原告らの本訴請求は、原告信子につき前記七及び八の合計その余の原告につき前記八の各限度において理由があり、その余は失当である。そこで訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 高山晨)

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